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生きるをえがく
長尾です
すごく共感した
「迷うってことは、選択肢があるってことじゃん」
仕事においても日々いろんなことで迷う
この方向でいいのか
この判断でいいのか
もっと違うやり方があるんじゃないか
今のままでいいのか
考えれば考えるほど答えが分からなくなることもある
だがそもそも「迷える」ということは
「選べる」ということなのではないか
選択肢が一つしかなければ迷うことすらできない
やるしかない
行くしかない
受け入れるしかない
そんな状況で「どっちにしよう」なんて迷いは生まれない
そう考えると迷うことや悩むことは必ずしも悪いことではない
むしろ迷えるということは
それだけ自分の人生に選択肢があるということなのかもしれない
考えてみればこれはものすごく恵まれたことだ
自分で選べるから迷える
自分で人生を決められるから悩める
そう考えた時にもう一方で頭に浮かんだ
我々が日々一緒に過ごしている仲間たち
我々が
当たり前のように持っている「選択肢」
十分に持てていない人たちがいる
今日どこへ行くのか
何をして過ごすのか
何を食べるのか
誰と過ごすのか
どんな仕事をするのか
どんな場所で暮らすのか
僕たちは日常の中で
無意識にたくさんのことを選んでいる
ところが障害が重くなればなるほど
本人ではなく周囲が決めることが増えていく
「危ないから」
「難しいから」
「分からないだろうから」
「こちらの方がスムーズだから」
もちろん安全や支援上の理由から必要なこともある
だがそれを繰り返していくうちに
その人の人生から「選ぶ」
という経験そのものが少なくなってはいないだろうか
そして思う
迷える人生をもっとつくりたい
「どっちにしよう」
「今日はこっちがいい」
「これは嫌だ」
「もう一回やりたい」
そんな小さな選択が積み重なって
その人らしい人生になっていくのだ
選択肢が増えれば当然迷うことも増える
だがその「迷い」こそが自分の人生を自分で生きている証拠なのではないか
株式会社Dareが掲げている理念は
「生きるをえがく」
この言葉を「何か特別なことをしてあげる」
という意味にはしたくない
本人が選べるものを増やす
好きなものを見つける
嫌いなものも知る
やったことのないことを経験する
できることを増やす
行ける場所を増やす
関わる人を増やす
そして「どっちにしよう」と迷えるくらい
その人の人生に選択肢を増やしていく
私自身これからも迷う
経営でも仕事でも人生でも
だが迷えることをありがたいと噛みしめ
自分で選んでいく
同時に我々と共に過ごす人たちにも
もっともっと「迷える人生」をつくっていく
選択肢のある人生をつくる
迷える人生をつくる
その人自身が自分の人生をえがいていけるように
それが「生きるをえがく」なのだ
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
21日は花の都へ行っていました
これで2回目なのですが
変化を求め何かを得ようという試みです
1人で他所様の領域に入り込み
形成されたコミュニティの中で振舞うこと
またその中で自分のバリューを発揮すること
とても難しい
やはり日々の積み上げなのだろう
これは弊社で働く職員もそうなのだろうな
新職員が馴染みやすく
且つバリューを発揮しやすい環境
これを上手くつくり循環させたい
変化と言えば
組織マネジメントのコンサルをやめた
得たものは活かしつつ再構築したい
話が散らかってしまうのだが
最後に我が家の夜の一コマを捉えた瞬間を共有したい

今日も生きるをえがこうか
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
昨日は長男の誕生日だった
誕生日を迎えるたび思うが
子どもの成長は本当に早い
一年前を思い返してみると
できるようになったことがたくさんある
身体も大きくなったし
話すことや考えることも少しずつ変化した
毎日一緒にいるとなかなか気づかないが
こうして節目を迎えるとその成長の大きさに驚かされる
同時に思う
「自分はこの一年でどれだけ成長したか」
子どもは毎日のように新しいことを経験している
できなかったことに挑戦して
失敗して、それでもまたやってみる
そうやって少しずつ、確実に成長している
私はどうか
年齢を重ねるにつれ「できること」
の中だけで生活するようになっていないか
失敗しないことを優先し
新しいことへの挑戦を避けていないか
息子の成長を実感すると同時にそう考える
親が教えるのではなく相互に学び合う
親子関係において大切にしたいところだ
息子からの学びは多い、良くも悪くもなのだが
息子のように昨日よりも今日
今日より明日
大人になるほど忘れてしまいがちな何かを
忘れず歩み続けようではないか
息子はまた一つ歳を重ねたが
歳を重ねること=成長ではない
大人も同じだ
また来年この日を迎え
「自分もこの一年で成長したな」と
そう思える自分でいたい
負けてられねぇ
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
自分について新しく分かったこと
・中心会議のとき、声が小さい
・何を考えているのか分からない
・妥協しなさそう、こだわりが強そう
・B型っぽい
どうやら周りからはこんなふうに映っているらしい
自分では普通に話しているつもりでも
中心会議では声が小さいらしい
「何を考えているのか分からない」とも
自分の中では当然いろいろ考えている
そして考えていない
全部言葉や態度に出すタイプではないので
「今どう思っているんだろう?」となるのかもしれない
「妥協しなさそう」「こだわりが強そう」という印象もあるらしい
これはまあ当たっている気もする
どうでもいいことは本当にどうでもいいけど
自分の中で大切だと思っていることについては拘る
そして最後に
「B型だろう」とも
なぜそこに着地したのかはよく分からないが
何を隠そう私はB型なのだ
ただ今日こういう話を聞いていて
自分の中で少し心境が変わっていることにも気づいた
これまでは良くも悪くも
「自分がどう思うか」を大切にしてきた
自分が納得できるか
自分が正しいと思えるか
自分がやりたいと思えるか
周りからどう見られるかより
自分自身がどう思うかのほうが大事だ
それ自体はこれからも大切にしたいと思う
ただ、会社というものを意識するようになって
少しずつそれだけではいけないと思うようになっている
自分の言動は「自分という一人の人間がどう見られるか」だけで終わらない
自分の振る舞いによって、会社がどういう会社に見えるのか
一緒に働いている人たちがどう見られるのか
相手に安心してもらえるのか、逆に不安を与えてしまうのか
そういうことまで考える必要がある
「自分はこういう人間だから」で終わらせるのではなく
相手から自分がどう見えているのかを知り
必要なら伝え方や振る舞いを変えていく
それは自分を曲げるとか
周りに合わせるということではない
自分がどう思うかを大切にしながら
自分たちがどう見られているかにも責任を持つ
今まではあまり考えてこなかった視点だが
会社としてやっていくなら必要なことなのだろう
声が小さいという話から
まさかここまで考えることになるとは…
今日分かったのは自分の声が小さいことだけではなく
自分を見る視点が「自分から見た自分」だけではなくなってきたこと
そんな変化だ
とかアラフォーのおじさんが呟いています
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
私にはIQ140程度の相棒がいる
相棒にプロンプトしてみた
”このブログから私という人物を他己紹介して欲しい”
⇓そして出ました⇓
長尾紘奨という人を一言で紹介するなら、
「人の人生を、自分の人生ごと使って考えている人」
だと思う。
株式会社Dareを立ち上げ、生活介護事業所を運営する経営者。
そう紹介すれば間違いではない。
でも、彼のブログを読んでいると、「経営者」という肩書きだけでは、この人のことをほとんど説明できていないように感じる。
長尾さんは、とにかくよく考える。
利用者さんの何気ない一言を考える。
職員の行動を考える。
制度や支援のあり方を考える。
家族の気持ちを考える。
そして、自分自身の言動についても考える。
ただし、ずっと深刻な顔をしている人ではない。
息子との出来事を書いたかと思えば、自分をネタにする。
空手の試合で勝ったのに翌日身体がボロボロになり、「勝利とは何なのか」と考え始める。
真面目なテーマほど少し笑えるように書き、
笑える出来事の最後には、なぜか少し考えさせられるものを残す。
そんな人だ。
そして、彼の根底にあるのは、
「その人の人生を、他人が勝手に決めてはいけない」
という感覚なのだと思う。
強度行動障害のある人の行動を、単なる「問題」として処理するのではなく、その人から社会へのメッセージとして考える。
支援者が「こうした方がいい」と決める前に、
本人は何を望んでいるのか。
何を伝えようとしているのか。
そもそも自分たちは本当に分かっているのか。
そこを疑い続ける。
だから長尾さんの文章には、完成された正解があまり登場しない。
むしろ、
「本当にこれでいいのか」
と問い続けている。
その姿勢は経営にも表れている。
利用者さんにできる仕事が見つからなければ、
「ないなら仕事そのものをつくればいい」とレンタルスペースを始める。
事業所の魅力を伝えたいとなれば、職員と一緒になって発信する。
新しい事業所をつくるとなれば、自分で机や椅子や棚まで組み立てる。
理念を語るだけではなく、
最後は自分の手を動かしてしまう人なのだ。
一方で、人を見る目は意外なほど細かい。
利用者さんが活動できる時間が少し伸びたこと。
挨拶ができたこと。
誰かに話しかけたこと。
そして、ある日初めて「名前は?」と聞いてくれたこと。
普通なら通り過ぎてしまいそうな変化を、
ちゃんと「その人の人生の変化」として拾っている。
たぶん長尾さんが見ているのは、
障害でも、支援でも、事業でもない。
人そのものなのだと思う。
もちろん、聖人ではない。
ブログを読めば読むほど、むしろ人間臭い。
生意気だった新人時代を振り返る。
家族に小言を言われる。
身体が痛いと騒ぐ。
流行りのアイスを探して何軒も店を回る。
仕事のことを考えすぎる。
迷うし、失敗するし、格好悪いところも普通に書く。
でも、その格好悪さまで含めて公開してしまうところに、この人らしさがある。
長尾紘奨は、
「立派な支援者であろうとしている人」というより、
「一人の人間として、目の前の人とどう生きるかを考え続けている人」
なのだと思う。
だから彼が何度も書く言葉が、
「生きるをえがく」
なのだろう。
それは株式会社Dareの理念であると同時に、
長尾紘奨という人自身の生き方なのかもしれない。
誰かの人生を完成させてあげるのではない。
本人が自分の人生をえがくために、
隣で考え、悩み、ときには一緒に転びながら、
必要なら仕組みそのものまでつくってしまう。
そして本人もまた、
経営者として、支援者として、父親として、一人の人間として、
まだ自分の人生をえがいている途中なのだと思う。
長尾紘奨。
人の可能性を信じている人。
でも、それ以上に、
「自分にはまだ分かっていないことがある」と考え続けられる人。
私は、ブログを読んでいて、
そんな人物に見えた。
とのこと
そんないいもんじゃねえよ!
と言いたいがニンマリした
確かにそうだ
決めつけ正解のように解釈するのは楽だ
信じて胸を張れば悩まず済むこともある
よく聞くのが「正解がない」という言葉
しかしこれについては否定したい
私の解釈は「その時々で正解は変わり続ける」なのだ
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
「支援を統一しましょう」
福祉や支援の現場ではよく聞く言葉だ
職員によって言うことや対応が違えば
利用者さんは混乱する
だから支援方針を決める
ルールを決める
手順を決める
これらはとても大切だ
ただそれだけでは「支援の統一」は難しい
必要なのは支援者が持っている
「知識量」と「知識レベル」を揃えること
本人の障害特性についてどのくらい理解しているか
その行動が起きる理由をどう考えるか
本人の得意・不得意をどの程度把握しているか
過去にどんな支援をしてどんな結果になったのか
こうした知識に差があれば
同じ支援方針を共有していても実際の支援には差が生まれる
つまり「やり方」を揃えるだけでは支援は揃わない
「知っている量」の差が判断の差になる
経験の長い職員と入職したばかりの職員では
当然知っていることに差がある
これは個人の能力の問題ではない
問題なのはその差がある状態のまま
「この場面では適切に判断してください」
と求めることだ
判断するための材料が違えば判断が違うのは当然
だからこそ組織として
「この仕事をするために最低限ここまでは知っておこう」
という知識の基準をつくる必要がある
もう一つ重要なのが知識のレベル
例えば「自閉症について知っている」
と言ってもそのレベルには大きな差がある
言葉を聞いたことがある
特徴を説明できる
実際の行動と特性を結びつけて考えられる
その人に合わせた支援方法を考えられる
支援を実施しその結果から方法を修正できる
これらはすべて「知っている」だが
支援で活用できるレベルはまったく違う
そのため
「この研修を受けました」
「この資料を読みました」
だけでは支援の統一には十分ではない
何を知っている必要があるのか
どのレベルまで理解している必要があるのか
明確にすることが大切だ
支援を統一するというと
「全員が同じ対応をすること」と考えがちだ
しかし本当に揃えたいのは「行動」だけではない
利用者さんの状態は日々変わる
すべての状況についてあらかじめ対応方法を決めることはできない
だから現場では必ず職員一人ひとりの「判断」が必要になる
そのときに
「なぜこの支援をするのか」
を同じように考えられること
つまり支援の統一とは
対応方法の統一ではなく
判断するための土台を統一すること
なのだと再認識する
その土台になるものの一つが「知識」だ
「人による支援」から「組織による支援」へ
経験豊富な職員がいると
その人の支援はとても安定していることがある
でもその職員が休んだら支援の質が変わる
異動したらできなくなる
新人職員には同じ支援ができない
これでは「その人ができる支援」であって
「組織としてできる支援」にはなっていない
だからこそ
・支援に必要な知識を明確にする
・どのレベルまで理解する必要があるかを決める
・学べる仕組みをつくる
・理解できているかを確認する
・現場で使えるところまで育てる
という仕組みが必要になる
支援を統一したいのであれば
マニュアルを作るだけでは足りない
「何をするか」を揃える前に
「何を知っているか」を揃える
そしてその知識をもとに
「なぜその支援をするのか」を共通言語にしていく
それが属人的な支援から組織的な支援へ変えていくための
一つの重要なポイントだと考える
それが難しいんだけどね!!!
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
変わらないことは、変わり続けること
一見すると矛盾しているけれど
最近この言葉についてよく考える
自分自身も変わる
考え方も、付き合う人も
大切にするものも、きっと少しずつ変わっていく
昔は大切だと思っていたことが今はそれほどでもなかったり
反対に昔は何とも思わなかったことが
今になって大切に思えたりする
環境が変われば、見える景色も変わる
出会う人が変われば、考え方も変わる
だから、変わること自体は特別なことじゃない
変わることとブレることは違う
何をするかは変わってもなぜそれをするのかは変わらない
表現の仕方は変わっても自分が面白いと思う感覚は大切にする
手段は変わっても根っこにあるものは変わらない
むしろ
その根っこにあるものを大切にするために
変わり続ける必要があるのだ
ずっと同じ場所に立ち続けることが
「変わらない」ということではない
周りが変わり、自分も変わっていく中で
それでも大切にしたいものを持ち続ける
だから
「変わらないことは、変わり続けること」
なのだ
そしてどれだけ自分が変わっても生活は続いていく
朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして、誰かと話して、家に帰る
嬉しい日もあれば、うまくいかない日もある
何でもない生活の繰り返しの中で、考えたり、悩んだり、嬉しくなったりする
そういう時間を大切にしたい
なぜならその生活の中から発想が生まれると思っているからだ
何気ない会話
ふと感じた違和感
なんとなく好きだと思ったもの
思わず笑ってしまったこと
ちょっと腹が立ったこと
一つひとつは大したことじゃない
だがそんな小さな感情の積み重ねが
自分の考え方をつくり仕事や表現につながっていく
だから何でもない毎日をちゃんと生きる
いい発想が突然存在するわけではなくて
毎日見て、聞いて、感じているものの延長線上に
自分なりの発想があるのだ
この先
環境も仕事も付き合う人も
自分自身すら変わっていくだろう
それでも自分が感じたことに正直でいること
何でもない毎日をちゃんと生きること
大切にしていたい
変わらないものを持ちながら
変わることを恐れない
変わらないために変わり続ける
そんなふうに
変わらずに変わっていきたい
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
息子が祖父母の家に泊まりに行く
これまでも遊びに行くことはあったが
今回はちょっと特別
親と離れてはじめてのお泊まり
しかも予定は3泊
「本当に3泊できるのか?」
と思っているのは
本人よりも親の方かもしれない
息子はというと意外と楽しみにしている様子
祖父母の家で何をして遊ぶのか
どんな毎日になるのかワクワクしているようだ
「夜になって寂しくならないかな」
「ちゃんと寝られるかな」
なんてことをついつい考えてしまう
という親が多いだろう
私は
「今日は久しぶりに酒でも飲もう」だ
こうやって少しずつ親から離れて過ごす
そんな時間が増えていくのも成長のひとつなんだろう
3泊できるのか
途中で「帰りたい!」となるのか
それともこちらの心配なんてよそに
思いっきり楽しんで帰ってくるのか
息子にとっての小さな冒険
そして親にとっても
ムズムズする3日間になりそうだ
どうなることやら
笑顔で「じゃあな~」と送り出したい
とか言ってたら
「やっぱやめるわ」
とか言いだしそうだ
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
「職員の生きるをえがく」について
「生きるをえがく」
この言葉を職員に対しても大切にしたい
だが「職員の生きるをえがく」
いったいどういうことなのだ
そんなことを考える
職員にとって
仕事は人生のすべてではない
家族との時間
友人との時間
好きなことに夢中になる時間
これからやってみたいこともあれば
大切にしたい暮らしもある
その一方で仕事に使う時間は決して短くない
だからこそ「仕事」と「生きること」を切り離すのではなく
ここで働くことが、その人の生きたい人生につながっている
そんな職場でありたい
「職員の生きるをえがく」と考えたとき
一つ大切にしたいことがある
それは組織が職員の人生を描くわけではない、ということだ
どう生きたいのか
何を大切にしたいのか
どんな自分になりたいのか
それを描くのは一人ひとりの職員自身だ
もちろんすぐに答えが出る人ばかりではない
「自分がどうしたいのか、まだよく分からない」
そんな時期があってもいい
組織にできるのは
答えを与えることではなく一緒に考えること
挑戦できる機会をつくること
いろいろな生き方や働き方に出会えること
そして「こうしてみたい」と言ったときにその一歩を応援できること
そんな環境をつくることなのではないか
「働いていてよかった」の先にあるもの
給料がいい
休みが取れる
人間関係がいい
成長できる
働くうえではどれも大切だ
だが「職員の生きるをえがく」が目指すもの
そのもう少し先にあるような気がする
ここで働いたから自分の可能性に気づけた
ここで出会った人のおかげでやりたいことが見つかった
仕事で得た経験が自分の人生にも生きている
以前より自分の人生を楽しみにできるようになった
仕事を通して一人ひとりの人生に新しい選択肢が増えていくこと
それが「職員の生きるをえがく」の一つの形なのかもしれない
そして
職員の「生きるをえがく」を大切にすること
それは職員のためだけではないと考える
自分自身の人生について考えたことがある人
挑戦したり迷ったり誰かに支えてもらった経験がある人
自分の「こうしたい」を大切にしてもらった人
そんな職員だからこそ
利用者さんの「こう生きたい」にも
本気で向き合えるのではないか
利用者さんの人生を豊かにするために職員が自分の人生を犠牲にする
そんな関係ではなく
利用者さんも、職員も、それぞれの「生きる」をえがいていける
そしてお互いの人生が交わることで
それまでになかった可能性が生まれていく
そんな組織をつくろうではないか
「職員の生きるをえがくとは何か」
今のところ完成した答えはない
むしろ職員一人ひとりによって「生きる」が違う以上
一つの正解をつくるものでもないのかもしれない
考えれば考えるほど考える
だからこそまずは聞いてみたい
あなたはどんなふうに生きていきたいですか?
そして
そのためにこの職場でどんなことができたらいいですか?
そんな対話を重ねながら
「職員の生きるをえがく」の意味を
みんなで少しずつ形にしていきたい
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
学びを記す
ストラクチャード・ティーチングは「構造化すること」が目的ではない
① ストラクチャード・ティーチングとは
ストラクチャード・ティーチングは
・ASDの学習スタイルに合わせる
・アセスメントに基づいて個別化する
・視覚的な情報や環境を整え、生活を理解しやすくする
ことを目的としている
そして利用者が
・どこへ行くのか
・何をするのか
・どれだけするのか
・いつ終わるのか
・次は何をするのか
が分かるよう支援することが基本になる
② 構造化は「本人の困りごと」を補うため
実行機能の困難さ
例えば
・計画を立てる
・順番を考える
・終わりを理解する
・次を予測する
これらを補うために
スケジュールやワークシステムを使う
「あとでね」
この言葉だけでは
「あと」がいつなのか分からない
だから視覚的な情報が必要なのだ
③ 大切なのは「なぜその支援をするのか」
考えさせられる
例えばイラストを使う
だが
「みんな使っているから」
では意味がない
本人は理解できているのか
本人に合っているのか
考え続ける必要がある
同じように
ストラクチャード・ティーチングも
「前任者から引き継いだから」
ではなく“なぜ必要なのか”
を考えることが重要だ
④ 個別化とは「人に合わせること」
スケジュールを個別化するときに考えることとして
・伝達方法
・長さ
・掲示場所
・携帯するか
・操作方法
が重要となる
「文字が読めるか」
ではなく
読んで理解できるか
が重要だ
文字が読めても
「どこへ行くの?」
が分からなければ支援にはならない
カードを持って移動することも
自立度によって必要性は変わる
気持ちが逸れてしまう方には
カードがあることで
「戻る手掛かり」になる
⑤ 環境設定も目的が大切
物理的構造化についても
・意味のある区画
・境界を明確にする
・刺激を整理する
が重要視される
しかし
「囲えばいいわけではない」
例えば
正面に支援者がいるなら
四方向を囲う必要があるのか?
個室も
・集団から逃がすため
・落ち着くため
・集団参加を助けるため
目的は何なのか
ここを考え直す必要がある
⑥ ゴールは「構造化された生活」ではない
ストラクチャード・ティーチングの目標として
・最大限の自立
・般化
・柔軟性
・セルフアドボカシー
・Well Being
が示されている
「今ある力を活かして豊かに生きる」
という言葉が印象的だ
構造化は
本人を管理するためではない
その人の力を引き出し
豊かに生活するための手段なのだ
⑦ 自分たちの事業所で考えたいこと
最後に余暇についての話も印象に残った
支援学校では
余暇を学ぶ機会が少ないという現状がある
成人期の生活を豊かにするには
自分で楽しめる余暇を持つことも大切だ
私たちの事業所では
強化子アセスメントは行っているが
「新しい楽しみを増やす支援」
という視点はまだ十分ではないかもしれない
生活全体の豊かさ
これを考えた支援を意識しなければならない
思考して実践だ
生きるをえがく
ながを