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生きるをえがく
長尾です
昨日の続きになるが
関係者から送られてきた分析
「合わない可能性が高い人」
というものがあった
・指示された仕事だけをしたい人
・変化が嫌いな人
・「仕事は仕事」と割り切りたい人
・経営者に答えを出してほしい人
読んでみて頷いた
良い悪いの話ではない
会社にも人にも相性がある
おそらくDareは少し面倒くさい会社だ
言われたことをやるだけではなく
「なぜこれをするのか」
「もっと良い方法はないか」
「本当に本人のためになっているか」
を考えなければならない
そして変化も多い
「去年こうだったから」
「昔からこうだから」
だけでは続けない
より良い方法があるなら変えるし
間違っていたならまた変える
だからこれからも変わり続ける
「仕事は仕事と割り切りたい人とは合わない」
ここは少し補足したい
休みの日まで仕事をしてほしいわけでも
私と同じ熱量を求めているわけでもない
ただ
私たちが向き合っているのは
単なる作業ではなく人の人生だ
だから勤務時間の中では
熱を持って向き合ってほしい
そしてすべての答え
それを社長に求める人ともたぶん合わない
最終的に決めるのは私だ
当然責任も取る
だが
「どうしたらいいですか?」
だけではなく
「私はこう思います」
が欲しい
間違っていてもいい
意見が違っていてもいい
自分の頭で考えて自分の言葉で話してほしい
ここまで書いてみて
Dareは万人に合う会社ではないのだろう
でもそれでいい
働く人にも会社を選ぶ権利がある
今後は
「誰でも来てください」ではなく
我々は
「こういう会社です。それでも一緒にやりたいですか?」
と言える会社になる
そして
「それなら一緒にやりたい」
と思ってくれる人たちと
生きるをえがいていくよ
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
関係者から強みと弱み
その分析が送られてきた…
めちゃくちゃ長いので割愛するが
弱みについて考えてみたので共有する
・熱量が高すぎる
・思いついたら動く分、仕組み化が追いつかない
・理念に共感できない人には厳しい
・経営者との距離が近いぶん、距離感が難しい
なかなか耳が痛い
でも、たぶん全部当たっている
私は仕事が好きだ
休みの日でも仕事のことを考えるし
思いついたことがあれば調べる
やってみたいことがあれば
できない理由より先にどうすればできるかを考える
そして考えているうちに動きたくなる
「こうした方がいい」
と思えば、
「じゃあ、やってみよう」
となる
これは自分の強みだと思っていた
実際それで作ってきたものもたくさんある
ただ
自分ができることと
みんなができることは違う
自分が楽しいことと
みんなが楽しいことも違う
自分にとって当たり前の熱量を
知らないうちに周りにも求めてしまっていたのかもしれない
そしてもう一つ
「なぜ?」を結構大事にする
なぜ、この支援をするのか
なぜ、この仕事をするのか
なぜ、変えないのか
だから
「今までこうだったから」
という言葉があまり好きではない
良くなる可能性があるなら変えればいいし
やってみて違ったなら、また変えればいい
だが私にとっての「変化」は前進でも
誰かにとっては「また変わる」なのかもしれない
ここも最近よく考える
会社が小さいうちは
自分が考えて動けばそれなりに前へ進む
だが人が増えればそうはいかない
私の頭の中にあるものを
みんなが察して動くなんて無理だ
理念も
判断基準も
支援に対する考え方も
「私ならこうする」
ではなく
「Dareならこうする」
に変えていかなければならない
そして距離感もそう
一緒に考えたいし
意見も言ってほしい
だが近いからこそ難しいこともある
私は福祉職員であると同時に
社長でもある
何気なく言った一言が
相手には「社長からの指示」に聞こえることもある
自分では意見を言っただけでも
相手からすれば「従わなければならない」と感じるかもしれない
距離が近いことと
立場が同じことは違う
そこは忘れてはいけない
こうやって並べてみると
私の弱みは
ほとんど強みの裏返しだった
熱量があるから、求めすぎる
行動が早いから、仕組みが追いつかない
理念を大切にするから、違う価値観に厳しくなる
距離が近いから、境界線が曖昧になる
だからといって
これらを全部なくしたいとは思わない
熱量を下げたいわけでもない
動くのを遅くしたいわけでもない
理念を薄めたいわけでもない
職員と距離を取りたいわけでもない
必要なのは
自分を変えて強みをなくすことではなく
強みが弱みとして出ない仕組みをつくること
私の熱量に頼らなくても進む会社
私がいなくても判断できる会社
理念は共有していても
考え方まで同じである必要はない会社
距離は近くても
役割と責任は明確な会社
そんな組織にしていかなければならない
会社が成長するということは
売上や人数が増えることだけではない
「個人技」で進んでいた会社が
組織として進めるようになること
今の私に必要なのは
もっと頑張ることではなく
私が頑張らなくても進む仕組みをつくること
強みと弱みはたぶん同じ場所にある
だから強みを捨てるのではなく扱えるようになる
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
この数ヶ月で職員が減った
一人辞めまた一人辞める
人数だけを見れば
なかなか厳しい時期だ
人が辞めれば当然現場は大変になる
残った職員の負担は増えるし
採用もしなければならない
経営者として
「なぜ辞めたのか」
「何が悪かったのか」
そんなことも嫌というほど考える
組織に問題がなかったとは思わない
自分自身にも
変えなければならないところがたくさんある
だが一方で
人が辞めることを「悪いこと」と捉える
それも少し違うと思うようにした
組織が変われば
合う人も変わる
求める支援の質が変われば
変化を求められる
会社が前に進もうとするとき
ずっと同じメンバーでいられるとは限らない
そして今
職員が増えた
新しい人が入り
少しずつ現場の景色も変わる
面白いもので
「人が減った」という事実と
「人が増えた」という事実は
数字だけを見れば元に戻っただけ
だが私には同じ組織には見えない
減ったからこそ
何を大切にしたい会社なのかを考える
減ったからこそ
誰でもいいから採用するのではなく
誰と一緒に働きたいのかを考える
減ったからこそ
残ってくれた職員の存在の大きさを知る
だから
10人が8人になって
また10人になったとしても
同じ「10人」ではない
組織は
人数でできているわけじゃない
誰がいるか
何を目指しているか
何を大切にしているか
その積み重ねでできている
人が減ることもある
人が増えることもある
出会いもあれば別れもある
大切なのは
増えた減ったに一喜一憂することでなく
その度に
「自分たちはどんな会社でありたいのか」
を問い直すことだと言い聞かせる
職員が減った
そして
職員が増えた
元に戻ったわけではない
前とは違うチームで
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
先日コアのS職員が
「強度行動障害支援者養成研修」に参加した
そこでまさかの出来事
他の受講者の方から
「動画に出ていた方ですよね?」
と声をかけられたらしい
その話を聞いて
あの動画見てくれてる人おるんや
と驚いた
7月18日
「生きるをえがく コアの密着」というブログ
コアで働く職員と利用者との
日常を撮影した動画について書いたものだ
動画を出しても
誰が見ているのかは分からない
再生回数の数字は見えても
その向こうにいる人の顔は見えない
だからまさか
動画に出ていた本人が
強度行動障害について
学びに行った先で声をかけられるとは…
なんとも面白い
おおおもろい
前回のブログの最後にこう書いた
「動画を見終わったあと
あなたは何を感じたのか
教えて欲しい
そして語り合おう」
それが約1か月後
思ってもいなかった形で返ってきた
どこで誰につながるかなんて分からない
再生回数の「1」の向こう側には
ちゃんと一人の人がいる
そして今回
思っていた以上にちゃんと届いていた
一本の動画が
まさか研修会場で返ってくるとは
発信って面白い
また一つ
発信を続ける理由が増えた
S職員に
何を語り合ったのか
それを聞き忘れていた…
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
すごく共感した
「迷うってことは、選択肢があるってことじゃん」
仕事においても日々いろんなことで迷う
この方向でいいのか
この判断でいいのか
もっと違うやり方があるんじゃないか
今のままでいいのか
考えれば考えるほど答えが分からなくなることもある
だがそもそも「迷える」ということは
「選べる」ということなのではないか
選択肢が一つしかなければ迷うことすらできない
やるしかない
行くしかない
受け入れるしかない
そんな状況で「どっちにしよう」なんて迷いは生まれない
そう考えると迷うことや悩むことは必ずしも悪いことではない
むしろ迷えるということは
それだけ自分の人生に選択肢があるということなのかもしれない
考えてみればこれはものすごく恵まれたことだ
自分で選べるから迷える
自分で人生を決められるから悩める
そう考えた時にもう一方で頭に浮かんだ
我々が日々一緒に過ごしている仲間たち
我々が
当たり前のように持っている「選択肢」
十分に持てていない人たちがいる
今日どこへ行くのか
何をして過ごすのか
何を食べるのか
誰と過ごすのか
どんな仕事をするのか
どんな場所で暮らすのか
僕たちは日常の中で
無意識にたくさんのことを選んでいる
ところが障害が重くなればなるほど
本人ではなく周囲が決めることが増えていく
「危ないから」
「難しいから」
「分からないだろうから」
「こちらの方がスムーズだから」
もちろん安全や支援上の理由から必要なこともある
だがそれを繰り返していくうちに
その人の人生から「選ぶ」
という経験そのものが少なくなってはいないだろうか
そして思う
迷える人生をもっとつくりたい
「どっちにしよう」
「今日はこっちがいい」
「これは嫌だ」
「もう一回やりたい」
そんな小さな選択が積み重なって
その人らしい人生になっていくのだ
選択肢が増えれば当然迷うことも増える
だがその「迷い」こそが自分の人生を自分で生きている証拠なのではないか
株式会社Dareが掲げている理念は
「生きるをえがく」
この言葉を「何か特別なことをしてあげる」
という意味にはしたくない
本人が選べるものを増やす
好きなものを見つける
嫌いなものも知る
やったことのないことを経験する
できることを増やす
行ける場所を増やす
関わる人を増やす
そして「どっちにしよう」と迷えるくらい
その人の人生に選択肢を増やしていく
私自身これからも迷う
経営でも仕事でも人生でも
だが迷えることをありがたいと噛みしめ
自分で選んでいく
同時に我々と共に過ごす人たちにも
もっともっと「迷える人生」をつくっていく
選択肢のある人生をつくる
迷える人生をつくる
その人自身が自分の人生をえがいていけるように
それが「生きるをえがく」なのだ
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
21日は花の都へ行っていました
これで2回目なのですが
変化を求め何かを得ようという試みです
1人で他所様の領域に入り込み
形成されたコミュニティの中で振舞うこと
またその中で自分のバリューを発揮すること
とても難しい
やはり日々の積み上げなのだろう
これは弊社で働く職員もそうなのだろうな
新職員が馴染みやすく
且つバリューを発揮しやすい環境
これを上手くつくり循環させたい
変化と言えば
組織マネジメントのコンサルをやめた
得たものは活かしつつ再構築したい
話が散らかってしまうのだが
最後に我が家の夜の一コマを捉えた瞬間を共有したい

今日も生きるをえがこうか
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
昨日は長男の誕生日だった
誕生日を迎えるたび思うが
子どもの成長は本当に早い
一年前を思い返してみると
できるようになったことがたくさんある
身体も大きくなったし
話すことや考えることも少しずつ変化した
毎日一緒にいるとなかなか気づかないが
こうして節目を迎えるとその成長の大きさに驚かされる
同時に思う
「自分はこの一年でどれだけ成長したか」
子どもは毎日のように新しいことを経験している
できなかったことに挑戦して
失敗して、それでもまたやってみる
そうやって少しずつ、確実に成長している
私はどうか
年齢を重ねるにつれ「できること」
の中だけで生活するようになっていないか
失敗しないことを優先し
新しいことへの挑戦を避けていないか
息子の成長を実感すると同時にそう考える
親が教えるのではなく相互に学び合う
親子関係において大切にしたいところだ
息子からの学びは多い、良くも悪くもなのだが
息子のように昨日よりも今日
今日より明日
大人になるほど忘れてしまいがちな何かを
忘れず歩み続けようではないか
息子はまた一つ歳を重ねたが
歳を重ねること=成長ではない
大人も同じだ
また来年この日を迎え
「自分もこの一年で成長したな」と
そう思える自分でいたい
負けてられねぇ
生きるをえがく
ながを