オフィシャルブログ

日別アーカイブ: 2026年5月30日

人間らしくいこう 迷いながら【西宮市 ラボ コア 生活介護 強度行動障害】

生きるをえがく

長尾です

 

「きょうだい児」として育った私が、あまり苦労した記憶がない理由

先日、見学に来ていた特別支援学校の生徒の保護者の方と話をする機会があった

話の中で、「きょうだい児として大変だったことはあるか?」

という話題になった

私の妹には障害がある

 

世間では「きょうだい児は我慢をしている」

「親の愛情を十分に受けられない」

といった話を耳にすることがある

 

もちろん、そうした経験をされた方もいると思います

ただ、私自身を振り返ると

「苦労した」という感覚はあまりなかったのだ

 

 

好きなことをやらせてもらっていた

子どもの頃を思い返しても

「妹がいるから諦めた」という記憶はほとんどない

 

親は私に対して制限や制約をかけることなく

やりたいことをやらせてくれていたのだろう

当時はそれが当たり前だったが

今になって振り返ると親なりの配慮があったのだ

 

 

家族のお出かけには少し特徴があった

一方、障害のある妹がいたことで

家族の行動に特徴はあった

例えば外食先

 

我が家はいつも決まったお店に行くことが多く

その代表がジョイフルだった

妹は車椅子ユーザーだったため

通路が広く移動しやすかったからだろう

 

子どもの頃は「なぜいつもジョイフルなんだ」と考えたこともなかったが

今、振り返ると家族は自然と妹が過ごしやすい場所を選んでいたのだろう

 

旅行や遠出も妹がショートステイを利用しているタイミングで行くことがあった

これも当時は特別なことだとは思ってなかった

むしろ「そういうものなんだ」と自然に受け入れていた気がする

 

 

「俺の妹だ。可愛いだろう」

私は小学5年生まで大分県で育ったが

当時の記憶を振り返ると

妹の障害について嫌な思いをした記憶はほとんどない

 

むしろ私は友達に妹を紹介するとき、

「俺の妹だ。可愛いだろう」

そんな風に言っていたと父親からよく言われる

 

障害があるとかないとか

そんなことより

ただただ妹なのだ

それだけだ

 

だから先ほどの「苦労した記憶がない」という話も

私の中では自然なことなのだろう

 

妹が障害者だったという感覚より

妹が妹だったという感覚の方が圧倒的に強いのだ

 

 

妹のための引っ越し

こうして振り返っていると、一つだけ大きな出来事を思い出す

私が小学5年生のとき、大分県から神戸へ引っ越した

理由は妹の病気だ

妹は指定難病を抱えている

 

当時通っていた大分大学病院では診ることが難しく

神戸大学病院へ転院することになったのだ

家族ごと生活の拠点を移した

 

もちろん当時の私はそんな事情を十分に理解していない

仲の良かった友達と離れることの方が大問題だった

 

引っ越しが決まったときは大号泣

「自分だけ大分に残る」

そんな無茶なことまで言った記憶がある

親は困っただろう

 

 

それでも妹を恨んだ記憶はない

その引っ越しは間違いなく妹がいたから起きた出来事だ

もし妹に病気がなければ

私は大分でそのまま育っていたかもしれない

 

だから「妹がいたことで影響を受けたことが一度もない」とは言えない

人生を左右するくらい大きな出来事だ

 

それでも不思議なことに

「あのせいで」

と思った記憶はない

 

引っ越しは嫌だった

友達と離れるのも嫌だった

でも、それと妹への気持ちは別

妹は妹なのだ

 

 

初めて知った「偏見」

小学5年生のときに神戸へ転校

新しい学校でもこれまで通り話していた

「妹がいる」

「養護学校に通っている」

 

自分にとっては当たり前の家族の話だ

特別なことを打ち明けている感覚はない

ところが翌日

 

「あいつの妹はガイジだ」

とか直接言われた

 

子どもでも差別用語だと分かる

だが当時の私は不思議と落ち込まなかった

 

腹が立ったわけでもない

傷ついたわけでもない

なぜなら障害があるかないかの前に妹は妹だからだ

 

私にとって、それ以上でもそれ以下でもない

誰に何を言われても、その事実は変わらないのだ

 

 

でも、少しだけ変わったこと

ただ、一つだけ変わったことがある

妹の存在を隠すようになったわけではない

聞かれれば普通に話す

 

でも、自分から積極的に話すことは減った

以前のように当たり前に話題に出さなくなった

隠しているわけではない

だけど公にはしない

今振り返っても、その感覚をうまく説明するのは難しい

 

たぶんその時初めて

「障害」に対して偏見を持つ人がいることを知ったのだと思う

 

妹への気持ちは何も変わらない

だけど、そのことを話したときの周囲の反応を意識するようになった

そんな微妙な変化があった…ように思う

 

 

今思うこと

今回、保護者の方と話をしていて改めて考えた

私は確かに「きょうだい児」だが

そのことを重荷に感じて育った記憶がない

 

もちろん、これは家庭によって違うと思う

ただ「きょうだい児だから必ず苦労する」

というわけではないことも一つの事実なのではないだろうか

 

そして今振り返ると

私にとって本当に大きかったのは

妹に障害があったことではなかった気がする

 

むしろ

妹に障害があることよりも

「障害がある人を特別な存在として見る人がいる」

ということの方が私にとっては大きな発見だった

 

私の中では何も特別ではなかったものが

世の中では特別なこととして扱われる

そのことを初めて知ったのが

あの転校だったのかもしれない

 

妹は今でも妹だ

当たり前の話だが…

 

障害があるからではなく

家族だから大切なのだ

そしてそれは

子どもの頃から変わってない

 

 

最後に…

正直なところ

子どもの頃のことなので記憶は曖昧だ

 

親がなにを考えていたのか

本当はどれだけ苦労していたのか

わしゃあしらん

 

今さら確認しようとも思わない

もしかすると私が気づいていなかっただけで

親はたくさんの我慢があったのかもしれない

 

それでも私の記憶の中では

好きなことをやらせてもらっていた

妹のことで我慢ばかりしていた覚えもない

 

親は妹を大切にしながら

私のことも大切に育てたのだろう

私はそう記憶している

 

だからこの記憶を

わざわざ掘り返し

確認しようとは思わない

このまま保管して死のうではないか

 

 

生きるをえがく

 

 

ながを