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生きるをえがく
長尾です
「きょうだい児」として育った私が、あまり苦労した記憶がない理由
先日、見学に来ていた特別支援学校の生徒の保護者の方と話をする機会があった
話の中で、「きょうだい児として大変だったことはあるか?」
という話題になった
私の妹には障害がある
世間では「きょうだい児は我慢をしている」
「親の愛情を十分に受けられない」
といった話を耳にすることがある
もちろん、そうした経験をされた方もいると思います
ただ、私自身を振り返ると
「苦労した」という感覚はあまりなかったのだ
好きなことをやらせてもらっていた
子どもの頃を思い返しても
「妹がいるから諦めた」という記憶はほとんどない
親は私に対して制限や制約をかけることなく
やりたいことをやらせてくれていたのだろう
当時はそれが当たり前だったが
今になって振り返ると親なりの配慮があったのだ
家族のお出かけには少し特徴があった
一方、障害のある妹がいたことで
家族の行動に特徴はあった
例えば外食先
我が家はいつも決まったお店に行くことが多く
その代表がジョイフルだった
妹は車椅子ユーザーだったため
通路が広く移動しやすかったからだろう
子どもの頃は「なぜいつもジョイフルなんだ」と考えたこともなかったが
今、振り返ると家族は自然と妹が過ごしやすい場所を選んでいたのだろう
旅行や遠出も妹がショートステイを利用しているタイミングで行くことがあった
これも当時は特別なことだとは思ってなかった
むしろ「そういうものなんだ」と自然に受け入れていた気がする
「俺の妹だ。可愛いだろう」
私は小学5年生まで大分県で育ったが
当時の記憶を振り返ると
妹の障害について嫌な思いをした記憶はほとんどない
むしろ私は友達に妹を紹介するとき、
「俺の妹だ。可愛いだろう」
そんな風に言っていたと父親からよく言われる
障害があるとかないとか
そんなことより
ただただ妹なのだ
それだけだ
だから先ほどの「苦労した記憶がない」という話も
私の中では自然なことなのだろう
妹が障害者だったという感覚より
妹が妹だったという感覚の方が圧倒的に強いのだ
妹のための引っ越し
こうして振り返っていると、一つだけ大きな出来事を思い出す
私が小学5年生のとき、大分県から神戸へ引っ越した
理由は妹の病気だ
妹は指定難病を抱えている
当時通っていた大分大学病院では診ることが難しく
神戸大学病院へ転院することになったのだ
家族ごと生活の拠点を移した
もちろん当時の私はそんな事情を十分に理解していない
仲の良かった友達と離れることの方が大問題だった
引っ越しが決まったときは大号泣
「自分だけ大分に残る」
そんな無茶なことまで言った記憶がある
親は困っただろう
それでも妹を恨んだ記憶はない
その引っ越しは間違いなく妹がいたから起きた出来事だ
もし妹に病気がなければ
私は大分でそのまま育っていたかもしれない
だから「妹がいたことで影響を受けたことが一度もない」とは言えない
人生を左右するくらい大きな出来事だ
それでも不思議なことに
「あのせいで」
と思った記憶はない
引っ越しは嫌だった
友達と離れるのも嫌だった
でも、それと妹への気持ちは別
妹は妹なのだ
初めて知った「偏見」
小学5年生のときに神戸へ転校
新しい学校でもこれまで通り話していた
「妹がいる」
「養護学校に通っている」
自分にとっては当たり前の家族の話だ
特別なことを打ち明けている感覚はない
ところが翌日
「あいつの妹はガイジだ」
とか直接言われた
子どもでも差別用語だと分かる
だが当時の私は不思議と落ち込まなかった
腹が立ったわけでもない
傷ついたわけでもない
なぜなら障害があるかないかの前に妹は妹だからだ
私にとって、それ以上でもそれ以下でもない
誰に何を言われても、その事実は変わらないのだ
でも、少しだけ変わったこと
ただ、一つだけ変わったことがある
妹の存在を隠すようになったわけではない
聞かれれば普通に話す
でも、自分から積極的に話すことは減った
以前のように当たり前に話題に出さなくなった
隠しているわけではない
だけど公にはしない
今振り返っても、その感覚をうまく説明するのは難しい
たぶんその時初めて
「障害」に対して偏見を持つ人がいることを知ったのだと思う
妹への気持ちは何も変わらない
だけど、そのことを話したときの周囲の反応を意識するようになった
そんな微妙な変化があった…ように思う
今思うこと
今回、保護者の方と話をしていて改めて考えた
私は確かに「きょうだい児」だが
そのことを重荷に感じて育った記憶がない
もちろん、これは家庭によって違うと思う
ただ「きょうだい児だから必ず苦労する」
というわけではないことも一つの事実なのではないだろうか
そして今振り返ると
私にとって本当に大きかったのは
妹に障害があったことではなかった気がする
むしろ
妹に障害があることよりも
「障害がある人を特別な存在として見る人がいる」
ということの方が私にとっては大きな発見だった
私の中では何も特別ではなかったものが
世の中では特別なこととして扱われる
そのことを初めて知ったのが
あの転校だったのかもしれない
妹は今でも妹だ
当たり前の話だが…
障害があるからではなく
家族だから大切なのだ
そしてそれは
子どもの頃から変わってない
最後に…
正直なところ
子どもの頃のことなので記憶は曖昧だ
親がなにを考えていたのか
本当はどれだけ苦労していたのか
わしゃあしらん
今さら確認しようとも思わない
もしかすると私が気づいていなかっただけで
親はたくさんの我慢があったのかもしれない
それでも私の記憶の中では
好きなことをやらせてもらっていた
妹のことで我慢ばかりしていた覚えもない
親は妹を大切にしながら
私のことも大切に育てたのだろう
私はそう記憶している
だからこの記憶を
わざわざ掘り返し
確認しようとは思わない
このまま保管して死のうではないか
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
久しぶりのSNSモニタリング
フォロワー数
TikTok:2,864人
Instagram:3,981人
YouTube:89人
X:14人
総フォロワー数:6,948人
月の視聴数
TikTok:約150万
Instagram:約163万
YouTube:不明
X:不明
SNSに時間を割けていないのだが
職員が協力してくれて
動画の撮影は私無しでもできている
私は編集と投稿のみ実施…感謝
事業所の方の更新も頻繁
是非HPから飛んでみて下さい
SNSは時間をかけられていないにもかかわらず
なりたい姿だけは次々と出てきて
我ながら欲深き人間だと実感する
後は実践するかどうかだ
SNSは目的ではなく手段だ
はき違えると承認欲求お化けになる
まあそうなっていたとしても
そうっとしておいておくれよ
目的のためなら
ピエロにだってなるさ
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
ないものねだりより あるもの磨き
ボロい日々も 磨けば光り
失ったものより 残った仲間
「ありがとう」って言える今が宝
「なんで俺だけ」って夜
人の成功見て荒れた心
でも帰る場所 待ってる声
当たり前じゃない 月日重ね知った
無くしたもん追えば キリがねぇ人生
今あるもんで 変えられる運命
冷めたコンビニ飯 狭いワンルーム
それでも笑えりゃ 俺のブルース
派手な夢より 守る現実
見栄より大事な 誠実
無くなったものより ここにあるもの
この命 この鼓動
足りないもの 探してた昨日
比べるたび濁っていく視界と理想
転んだ数だけ優しくなれた
“持ってるもの” にようやく触れた
何者かになりたくて 自分を嫌った
けど泥だらけの過去も 俺を作った
無いものねだりじゃ 埋まらねぇ心
今ある愛で 今日をいきるこの頃
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
「きょうだい支援」とは?
障がいのある子どもの兄弟姉妹(=きょうだい)に目を向けた支援の重要性
発達障がい児支援を「本人」だけでなくその家族全体
とくに兄弟姉妹の視点から考える必要性
きょうだいが抱えやすい気持ち
きょうだいは幼少期からさまざまな感情を抱えながら成長します
・「親が障がいのある兄弟ばかり見ている」
・「友達に話しづらい」
・「将来、自分が面倒を見ないといけないのでは」
・「自分だけ楽しんでいいのかな」
といった不安や葛藤、孤独感を感じるケースがあります
こうした感情は「特別なことではなく、自然なもの」であり
否定せず受け止めることが大切だと説明されています
実際の調査から見える現状
資料内の調査では
・小学生時代に「他の家庭と違う」と感じたきょうだいは約65%
・将来の負担を「感じていた」と答えた人は7割以上
という結果が示されています
また、困りごととしては
・周囲の理解不足
・いじめや差別
・友人を家に呼びづらい
・親からのプレッシャー
などが挙げられていました
一方で、ポジティブな側面も
きょうだい経験が
・人への思いやり
・多様性への理解
・福祉や支援への関心
・視野の広がり
につながったという声も多く紹介されています
つまり「大変だった経験」だけでなく
その経験が人格形成に良い影響を与えるケースも少なくありません
きょうだい支援で大切なこと
きょうだい支援として次のようなポイントが挙げられています
1.“あなたも大切”と伝える
障がいのある子どもだけでなく
きょうだい自身も大切な存在であることを
日常的に伝えること
2.気持ちを話せる環境をつくる
「嫌だ」「つらい」と言える安心感が必要
否定せずに受け止める姿勢が重要
3.正しい情報を伝える
障がいや家族の状況について
年齢に応じて丁寧に説明することで不安軽減につながる
4.一人の時間・居場所を確保する
きょうだい自身が休める時間や
同じ立場の人とつながれる場が支えになる
まとめ
障がい児支援というと本人への支援に目が向きがちです
しかしその兄弟姉妹である「きょうだい」もまた
多くの思いや葛藤を抱えながら成長しています
不安や孤独を感じる一方で
思いやりや多様性理解を育む経験にもなっています
大切なのは
「きょうだいも一人の子どもとして大切にされること」
家族全体を支える視点がこれからの支援には求められています
―――――――――――――――
私もきょうだい児の立場なのだが…
・「親が障がいのある兄弟ばかり見ている」
⇒私は結構注目を浴びていた!
・「友達に話しづらい」
⇒「これ俺の妹!かわいいだろ~」
とか普通に言っていた
周りの環境も良かったはず
・「将来、自分が面倒を見ないといけないのでは」
⇒あかん
考えてなかった!!!
・「自分だけ楽しんでいいのかな」
⇒めちゃくちゃ楽しんでた!
好きにし過ぎてた!
そしてポジティブなところ
・人への思いやり
・多様性への理解
・福祉や支援への関心
・視野の広がり
⇒これらをパッケージングしたのが私だ!(ジョーク)
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
最近
本当に暑い日が続いている
熱中症には十分気を付けましょう
実は私自身も先日
熱中症のような症状があり
手足がしびれることがありました
かなり危険な状態だったと思われるが
塩タブレットを摂り水分補給を行うことで回復した
これまではブラックコーヒーだけで1日を乗り越えていたのだが
最近は意識的にアクエリアスなどを飲むようにしている
ラボでも熱中症対策としてアクエリアスを導入した
「まだ大丈夫」と思っていても
気付かないうちに体に負担がかかっていることがある
特に今年の暑さは危険なレベルだ
こまめな水分補給と塩分補給
そして無理をしないことを意識して
皆さんで安全に夏を乗り越えよう
日々、体調に気を付けながら過ごしていきたいものです
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
まさか「リッチボディ」が
自己肯定感の話になるとは思わなかった
昨日「リッチボディ」というブログを書いた
“ぽっちゃり”をちょっと前向きに
ちょっと面白く言い換えただけの記事だった
完全にネタブログなのだが
今日、朝から職員さんがメッセージをくれた
「おはようございます。
リッチボディのブログ、今読んで笑えました。
私も毎日、美しい敗北を喫しています。
朝から元気になりました。
しょうもない連絡ですみません!」
いや、“しょうもなく”ない
むしろめちゃくちゃ嬉しい
さらに続けて
「理想の自分像は持ちつつも
ありのままの自分を愛せる余裕と幸福感も
出せる自分でいたいと思いました。」
…素晴らしすぎる
まさか“リッチボディ”から
こんな深い言葉が返ってくるとは思わなかった
でも確かに
人ってずっと
「もっとちゃんとしなきゃ」と思いながら生きている
痩せなきゃ
仕事できるようにならなきゃ
もっと優しくならなきゃ
もっと理想に近づかなきゃ
もちろん向上心は大事だ
でもその一方で
「今の自分を嫌い続ける人生」
って、結構しんどい
だから
理想は追う
でも、今の自分もちゃんと笑う
そのバランスが
人生には必要なのだろう
そしてその境地にいる人は
たぶん少し“リッチ”だ
心にも余白がある
だから今日も
理想を追いながら
アイスクリームを食べようと思う
美しい敗北を重ねながら
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
最近お腹が出てきたので
AIに言い訳を考えてもらい
前向きになれたので共有したい
「リッチボディ」という革命
〜“ぽっちゃり”を卒業して豊かさを語る〜
「ぽっちゃり」という言葉には
どこか“言い訳感”がある
でも実際は違う
あの柔らかさ
あの安心感
「一緒にラーメン大盛り行けそう」な包容力
それはもう“豊かさ”だ
だから私は提案したい
これからは「ぽっちゃり」ではなく
“リッチボディ”だ
リッチボディとは何か
リッチボディとは
単に体に厚みがある状態ではない
人生経験、食文化、幸福、余裕
そういうものが肉体にまで染み出した存在である
カロリーは人生の年輪だ
深夜の唐揚げ
締めのラーメン
旅行先で「せっかくだし」と頼んだご当地スイーツ
そのすべてが積み重なって
人はリッチボディになる
ガリガリには出せない安心
細身の人にはスタイリッシュさがある
しかしリッチボディには“信頼”がある
たとえば冬
隣に座った時の安心感が違う
ソファに沈み込む感じ
「この人、絶対いい人だろうな」という先入観
鍋を囲んだ時の説得力
リッチボディは、空気清浄機みたいなものだ
場をまろやかにする
「痩せたい」は本音 「食べたい」は真実
もちろん、本人だって一度は思う
「痩せようかな」と
だがその直後に
期間限定の濃厚チーズバーガーが発売される
これはもう運命だ
リッチボディの人間は
常に“理性”と“炭水化物”の間で戦っている
そして大体、炭水化物が勝つ
美しい敗北である
最後に
リッチボディとは敗北ではない
美しい敗北なのだ
むしろ人生をちゃんと楽しんできた証拠だ
我慢だけで作られた身体より
幸福でできた身体のほうが、ちょっと人間らしい
だから今日も胸を張ろう
いや、胸だけじゃない
腹も張っていこう
…なんの話し?
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
受講研修の共有です。
ASDの家族支援で本当に大切なこと
―「家族を理解する」という視点から考える支援のあり方―
ASD(自閉スペクトラム症)の支援では
子ども本人への療育や支援方法に注目が集まりがちです
しかし「本人理解のためには、まず家族を理解することが重要である」
という視点が大切にされています
近年は療育機関や支援制度が増え
支援体制も整いつつあります
それでも現場では「保護者支援の難しさ」
が課題として挙げられています
その背景には
“親だけが取り残されている”
状況があるのではないかと問題提起されています
診断によって家族の人生は大きく変わる
ASDの診断は子ども本人だけでなく
家族全体の生活や価値観に大きな影響を与えます
・日々の生活
・将来への期待
・家族関係
・子どもへの見方
・自分自身の人生観
こうしたものが大きく変化していきます
家族はさまざまな感情の中にいる
家族は診断後
・ショック
・否定
・怒り
・悲しみ
・絶望
・受容
・エンパワメント
といった感情を行き来します
重要なのは「何があったか」だけではなく
その時に家族が“どう感じていたか”
を丁寧に聴くことだと資料は述べています
家族が抱えるストレスとは
ASD児を育てる家族には多くのストレス要因があります
例えば
・診断への混乱
・将来への不安
・「できない」のか「やりたくない」のか分からない葛藤
・公共の場での行動への周囲の視線
・インターネット上の不確かな情報
・専門家との関係
などが挙げられています
さらに
・睡眠不足
・慢性的疲労
・リラックスする時間の不足
・累積するストレス
といった身体的・精神的負担も大きいことが指摘されています
「支援する側」にもバイアスがある
専門家側の課題
支援者も
・過去の家族対応経験
・家族への先入観
・システム上の制約
・リソース不足
などを無意識に持ち込み関係性に影響を与えてしまう可能性があります
そのため家族支援では「家族を変える」のではなく
まず“聴く姿勢”が必要だとされています
良い協働関係をつくるために必要なこと
「協働(Collaboration)」を
“対等なパートナー同士が共通の目標に向かって意思決定を共有すること”
と定義しています
そのために大切なのは
1.傾聴すること
・決めつけない
・判断しない
・相手の背景を理解する
2.オープンな質問を使うこと
例:
・「その時どう感じましたか?」
・「何が起きていましたか?」
・「どうすれば役に立てますか?」
3.コミュニケーションの姿勢
・話を遮らない
・うなずく
・表情で安心感を示す
・相手のペースに合わせる
といった基本的な対話姿勢も重視されています
「家族を理解すること」が本人理解につながる
資料の最後では
・家族に寄り添うこと
・家族と一緒に考えること
・家族の“良き理解者”になること
こそが本人支援の土台になるとまとめられています
ASD支援において重要なのは
専門家が一方的に教えることではなく
「家族と共に歩む姿勢」なのかもしれません
――――――――――――――――――――――――
重要なのは「何があったか」だけではなく
その時に家族が“どう感じていたか”
ここが沁みる
つい最近きょうだい児が集まるキャンプについて
参加しませんかと声掛けがあったのだが
本当に参加しようかしら…
私の妹には障害があるのだが
その妹の親(つまり私の親)について
あまり理解しようとしていなかった
後悔も反省もしない
私の姿を見て何かを感じておくれ
私は私に関わる人たちと
生きるをえがきます
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
ある記事を読んだ
障害のある人を支える仕事に必要な「心構え」とは
~専門性だけではない、支援者として大切にしたい視点~
障害のある人を支える仕事には
専門知識や技術だけでなく
「その人らしさ」を尊重する姿勢が求められます
「支援者としての心構え」をテーマに
支援の現場で大切にしたい価値観や倫理について考えてみます
「支援者の仕事」とは何だろう?
皆さんは、自分の仕事を家族や友人にどのように説明していますか?
障害福祉の仕事は、介助・介護、相談支援
就労支援、発達支援などさまざまな表現ができます
しかし、それだけでは支援の本質を十分に表しているとは言えません
支援者の仕事とは、単に「援助すること」ではなく
障害のある人の人生に寄り添い、共に歩むことではないでしょうか
だからこそ支援者には知識や技術だけではなく
「どのような姿勢で人と向き合うのか」という心構えが必要になります
そもそも「心構え」とは?
辞書では「心構え」とは
・普段からの心の持ち方
・物事に向き合うための準備
と説明されています
支援の現場で考えるなら
「支援の中で、自分は何を大切にするのか」
を明確にすることとも言えるでしょう
支援で大切にしたい「価値」
支援の現場では
・利用者本人の意思
・生活の質(QOL)
・権利擁護
・自己決定
・安心・安全
など、多くの価値が関わっています
例えばある支援チームでは
「本人の意思に基づく支援」を重視しているかもしれません
その場合、利用者本人が選択し決定できるように支援することが重要になります
つまり「何を良い支援と考えるのか」は
支援者が持つ価値観によって大きく変わるのです
倫理がなぜ重要なのか
価値観は大切ですが、人によって考え方は異なります
そのため支援の現場では
「何を基準に行動するのか」を示す“倫理”が必要になります
倫理とは
支援を方向づける基準や原則
のこと
多くの福祉団体や施設では、倫理綱領や行動規範が定められています
そこには例えば
・利用者の尊厳を守る
・差別や虐待をしない
・自己決定を尊重する
・専門職として学び続ける
といった内容が掲げられています
これらは単なる理想論ではなく、日々の支援を支える“土台”なのです
支援者に求められる基本姿勢
支援者として大切にしたい姿勢には、次のようなものがあります
1.利用者の尊厳を守る
一人の人間として尊重し、その人らしい生き方を支えること
2.自己決定を尊重する
「支援する側が決める」のではなく、本人が選び、決められるよう支援すること
3.安心・安全な生活を支える
利用者が安心して生活できる環境づくりを行うこと
4.専門職として学び続ける
知識や技術だけでなく、自分自身の支援のあり方を振り返り続けること
5.チームで支える
一人で抱え込まず、多職種や家族、地域と連携すること
「対等」でありながら、「支援する側」でもある
支援者と利用者は人として対等です
しかし一方で、支援者は制度や情報を持ち、支援する立場でもあります
そのため、知らないうちに「支援者側の価値観」を押し付けてしまう危険性があります
だからこそ
・本人の意思を丁寧に確認する
・支援者都合で決めない
・相手の声に耳を傾ける
という姿勢が重要になります
支援に必要なのは「知識+心構え」
福祉の仕事では、知識や技術はもちろん大切です
しかし、それだけでは十分ではありません
どれだけ専門性が高くても
・相手を尊重できているか
・本人の人生に寄り添えているか
・「その人らしさ」を大切にできているか
という視点が欠けてしまえば、本当の支援にはつながりません
支援とは、人の人生に深く関わる仕事です
だからこそ専門性と同じくらい
「どんな心で向き合うか」が大切なのだと思います
まとめ
障害のある人を支える仕事では
・尊厳を守ること
・自己決定を尊重すること
・倫理に基づいて行動すること
・学び続けること
が大切です
支援は「してあげる」ものではなく
その人の人生に寄り添い、共に歩むこと
改めてそんな視点を大切にしたいですね
良い記事だよな~
生きるをえがくだよい
生きるをえがく
ながを