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生きるをえがく
長尾です
今日は私のだらしないところを紹介
そして成仏していきたいと思います
この写真を見て欲しい

私のデスクだ
…おわかりいただけただろうか?
私は飲料を中途半端に残す
残っているのに次のを購入する
だらしない男だ…
次にこの写真を見て欲しい

私の隣のデスクだ
かつて島田職員が使っていたのだが
コアに移ってからこのありさまだ
片づけるという行為
なかなかむつかしい
メインで使っているデスクは
写真を載せられないくらい汚い
しかしどこに何を置いているか
分かってはいるのだ
かつて私の机の上を片づけてくれた母に対して
”なぜ散らかした、どこに何があるかわからない”
などと理不尽な怒り方をしていたのが懐かしい
どうしようもない男だ…
そしてこれを見て欲しい

研修でいただいた本
いただいた状態のまま段ボール
本棚に直すと読まないから
とか
読むための時間が捻出できない
とか
言い訳して放置
とんでもない男だ…
でもそんな自分と今日でお別れ
成仏…?!
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
先週土曜日、久しぶりに飲食店での
外食レクリエーションを実施した
最近はテイクアウトを利用する機会が多く
利用者の皆さんにとっても職員にとっても
飲食店での外食は久しぶりの取り組みだった
実は前回の外食レクリエーション
注文の場面で一人の利用者が混乱
その様子に影響を受け他利用者も不安定になった
結果として複数名がパニック状態になるという経験があったのだ
その経験を踏まえ、今回は事前準備を徹底
座席の配置を細かく想定し
利用者の特性に合わせ対応しやすい職員を隣に配置
また事前にメニューを確認し
当日の変更が可能かも事前確認するなど
安心して参加できる環境づくりに努めた
準備万端で迎えた当日
利用者の皆さんは落ち着いた様子で食事を楽しみ
無事にレクリエーションを終えることができた
急遽出勤してくれた非常勤職員2名!
大きな力となりました
ドリンクバーの付き添いや注文のサポート
利用者の急な動きにも臨機応変に対応
そのおかげで全体がとてもスムーズに進行
今回の成功は単に「トラブルがなかった」ということではない
私たちの法人理念である
「発見(Detection)」の視点から考えると
一人ひとりが安心できる環境や関わり方を
改めて発見できた機会だった
前回うまくいかなかった経験があったからこそ
「この人は外食が苦手」
「外食は難しい」
という結論に飛びつくのではなく
何が不安につながったのか
どうすれば安心できるのかを考えた
これは理念の一つである
「反証(Disproof)」だ
「以前うまくいかなかったから今回も難しいだろう」
「外食は無理かもしれない」
そんな思い込みを疑い
準備や支援の方法を見直した結果
利用者の皆さんは落ち着いて参加できた
この経験は「発達(Development)」にもつながる
利用者の皆さんにとっては
「また参加したい」という次回への意欲や自信になる
職員にとっても
「こうすればうまくいく」
という成功体験を積み重ねること
これが次回の支援をより具体的にイメージできるようになる
支援はその場だけの成功を目指すものではない
一つひとつの経験を積み重ねながら
その人の可能性を広げ
私たち自身も学び続けることだと改めて感じた
これからも「発見」「発達」「反証」
この理念を大切にしながら
利用者の皆さんが安心して挑戦できる機会をつくろう
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
「きょうだい児」として育った私が、あまり苦労した記憶がない理由
先日、見学に来ていた特別支援学校の生徒の保護者の方と話をする機会があった
話の中で、「きょうだい児として大変だったことはあるか?」
という話題になった
私の妹には障害がある
世間では「きょうだい児は我慢をしている」
「親の愛情を十分に受けられない」
といった話を耳にすることがある
もちろん、そうした経験をされた方もいると思います
ただ、私自身を振り返ると
「苦労した」という感覚はあまりなかったのだ
好きなことをやらせてもらっていた
子どもの頃を思い返しても
「妹がいるから諦めた」という記憶はほとんどない
親は私に対して制限や制約をかけることなく
やりたいことをやらせてくれていたのだろう
当時はそれが当たり前だったが
今になって振り返ると親なりの配慮があったのだ
家族のお出かけには少し特徴があった
一方、障害のある妹がいたことで
家族の行動に特徴はあった
例えば外食先
我が家はいつも決まったお店に行くことが多く
その代表がジョイフルだった
妹は車椅子ユーザーだったため
通路が広く移動しやすかったからだろう
子どもの頃は「なぜいつもジョイフルなんだ」と考えたこともなかったが
今、振り返ると家族は自然と妹が過ごしやすい場所を選んでいたのだろう
旅行や遠出も妹がショートステイを利用しているタイミングで行くことがあった
これも当時は特別なことだとは思ってなかった
むしろ「そういうものなんだ」と自然に受け入れていた気がする
「俺の妹だ。可愛いだろう」
私は小学5年生まで大分県で育ったが
当時の記憶を振り返ると
妹の障害について嫌な思いをした記憶はほとんどない
むしろ私は友達に妹を紹介するとき、
「俺の妹だ。可愛いだろう」
そんな風に言っていたと父親からよく言われる
障害があるとかないとか
そんなことより
ただただ妹なのだ
それだけだ
だから先ほどの「苦労した記憶がない」という話も
私の中では自然なことなのだろう
妹が障害者だったという感覚より
妹が妹だったという感覚の方が圧倒的に強いのだ
妹のための引っ越し
こうして振り返っていると、一つだけ大きな出来事を思い出す
私が小学5年生のとき、大分県から神戸へ引っ越した
理由は妹の病気だ
妹は指定難病を抱えている
当時通っていた大分大学病院では診ることが難しく
神戸大学病院へ転院することになったのだ
家族ごと生活の拠点を移した
もちろん当時の私はそんな事情を十分に理解していない
仲の良かった友達と離れることの方が大問題だった
引っ越しが決まったときは大号泣
「自分だけ大分に残る」
そんな無茶なことまで言った記憶がある
親は困っただろう
それでも妹を恨んだ記憶はない
その引っ越しは間違いなく妹がいたから起きた出来事だ
もし妹に病気がなければ
私は大分でそのまま育っていたかもしれない
だから「妹がいたことで影響を受けたことが一度もない」とは言えない
人生を左右するくらい大きな出来事だ
それでも不思議なことに
「あのせいで」
と思った記憶はない
引っ越しは嫌だった
友達と離れるのも嫌だった
でも、それと妹への気持ちは別
妹は妹なのだ
初めて知った「偏見」
小学5年生のときに神戸へ転校
新しい学校でもこれまで通り話していた
「妹がいる」
「養護学校に通っている」
自分にとっては当たり前の家族の話だ
特別なことを打ち明けている感覚はない
ところが翌日
「あいつの妹はガイジだ」
とか直接言われた
子どもでも差別用語だと分かる
だが当時の私は不思議と落ち込まなかった
腹が立ったわけでもない
傷ついたわけでもない
なぜなら障害があるかないかの前に妹は妹だからだ
私にとって、それ以上でもそれ以下でもない
誰に何を言われても、その事実は変わらないのだ
でも、少しだけ変わったこと
ただ、一つだけ変わったことがある
妹の存在を隠すようになったわけではない
聞かれれば普通に話す
でも、自分から積極的に話すことは減った
以前のように当たり前に話題に出さなくなった
隠しているわけではない
だけど公にはしない
今振り返っても、その感覚をうまく説明するのは難しい
たぶんその時初めて
「障害」に対して偏見を持つ人がいることを知ったのだと思う
妹への気持ちは何も変わらない
だけど、そのことを話したときの周囲の反応を意識するようになった
そんな微妙な変化があった…ように思う
今思うこと
今回、保護者の方と話をしていて改めて考えた
私は確かに「きょうだい児」だが
そのことを重荷に感じて育った記憶がない
もちろん、これは家庭によって違うと思う
ただ「きょうだい児だから必ず苦労する」
というわけではないことも一つの事実なのではないだろうか
そして今振り返ると
私にとって本当に大きかったのは
妹に障害があったことではなかった気がする
むしろ
妹に障害があることよりも
「障害がある人を特別な存在として見る人がいる」
ということの方が私にとっては大きな発見だった
私の中では何も特別ではなかったものが
世の中では特別なこととして扱われる
そのことを初めて知ったのが
あの転校だったのかもしれない
妹は今でも妹だ
当たり前の話だが…
障害があるからではなく
家族だから大切なのだ
そしてそれは
子どもの頃から変わってない
最後に…
正直なところ
子どもの頃のことなので記憶は曖昧だ
親がなにを考えていたのか
本当はどれだけ苦労していたのか
わしゃあしらん
今さら確認しようとも思わない
もしかすると私が気づいていなかっただけで
親はたくさんの我慢があったのかもしれない
それでも私の記憶の中では
好きなことをやらせてもらっていた
妹のことで我慢ばかりしていた覚えもない
親は妹を大切にしながら
私のことも大切に育てたのだろう
私はそう記憶している
だからこの記憶を
わざわざ掘り返し
確認しようとは思わない
このまま保管して死のうではないか
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
久しぶりのSNSモニタリング
フォロワー数
TikTok:2,864人
Instagram:3,981人
YouTube:89人
X:14人
総フォロワー数:6,948人
月の視聴数
TikTok:約150万
Instagram:約163万
YouTube:不明
X:不明
SNSに時間を割けていないのだが
職員が協力してくれて
動画の撮影は私無しでもできている
私は編集と投稿のみ実施…感謝
事業所の方の更新も頻繁
是非HPから飛んでみて下さい
SNSは時間をかけられていないにもかかわらず
なりたい姿だけは次々と出てきて
我ながら欲深き人間だと実感する
後は実践するかどうかだ
SNSは目的ではなく手段だ
はき違えると承認欲求お化けになる
まあそうなっていたとしても
そうっとしておいておくれよ
目的のためなら
ピエロにだってなるさ
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
ないものねだりより あるもの磨き
ボロい日々も 磨けば光り
失ったものより 残った仲間
「ありがとう」って言える今が宝
「なんで俺だけ」って夜
人の成功見て荒れた心
でも帰る場所 待ってる声
当たり前じゃない 月日重ね知った
無くしたもん追えば キリがねぇ人生
今あるもんで 変えられる運命
冷めたコンビニ飯 狭いワンルーム
それでも笑えりゃ 俺のブルース
派手な夢より 守る現実
見栄より大事な 誠実
無くなったものより ここにあるもの
この命 この鼓動
足りないもの 探してた昨日
比べるたび濁っていく視界と理想
転んだ数だけ優しくなれた
“持ってるもの” にようやく触れた
何者かになりたくて 自分を嫌った
けど泥だらけの過去も 俺を作った
無いものねだりじゃ 埋まらねぇ心
今ある愛で 今日をいきるこの頃
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
「きょうだい支援」とは?
障がいのある子どもの兄弟姉妹(=きょうだい)に目を向けた支援の重要性
発達障がい児支援を「本人」だけでなくその家族全体
とくに兄弟姉妹の視点から考える必要性
きょうだいが抱えやすい気持ち
きょうだいは幼少期からさまざまな感情を抱えながら成長します
・「親が障がいのある兄弟ばかり見ている」
・「友達に話しづらい」
・「将来、自分が面倒を見ないといけないのでは」
・「自分だけ楽しんでいいのかな」
といった不安や葛藤、孤独感を感じるケースがあります
こうした感情は「特別なことではなく、自然なもの」であり
否定せず受け止めることが大切だと説明されています
実際の調査から見える現状
資料内の調査では
・小学生時代に「他の家庭と違う」と感じたきょうだいは約65%
・将来の負担を「感じていた」と答えた人は7割以上
という結果が示されています
また、困りごととしては
・周囲の理解不足
・いじめや差別
・友人を家に呼びづらい
・親からのプレッシャー
などが挙げられていました
一方で、ポジティブな側面も
きょうだい経験が
・人への思いやり
・多様性への理解
・福祉や支援への関心
・視野の広がり
につながったという声も多く紹介されています
つまり「大変だった経験」だけでなく
その経験が人格形成に良い影響を与えるケースも少なくありません
きょうだい支援で大切なこと
きょうだい支援として次のようなポイントが挙げられています
1.“あなたも大切”と伝える
障がいのある子どもだけでなく
きょうだい自身も大切な存在であることを
日常的に伝えること
2.気持ちを話せる環境をつくる
「嫌だ」「つらい」と言える安心感が必要
否定せずに受け止める姿勢が重要
3.正しい情報を伝える
障がいや家族の状況について
年齢に応じて丁寧に説明することで不安軽減につながる
4.一人の時間・居場所を確保する
きょうだい自身が休める時間や
同じ立場の人とつながれる場が支えになる
まとめ
障がい児支援というと本人への支援に目が向きがちです
しかしその兄弟姉妹である「きょうだい」もまた
多くの思いや葛藤を抱えながら成長しています
不安や孤独を感じる一方で
思いやりや多様性理解を育む経験にもなっています
大切なのは
「きょうだいも一人の子どもとして大切にされること」
家族全体を支える視点がこれからの支援には求められています
―――――――――――――――
私もきょうだい児の立場なのだが…
・「親が障がいのある兄弟ばかり見ている」
⇒私は結構注目を浴びていた!
・「友達に話しづらい」
⇒「これ俺の妹!かわいいだろ~」
とか普通に言っていた
周りの環境も良かったはず
・「将来、自分が面倒を見ないといけないのでは」
⇒あかん
考えてなかった!!!
・「自分だけ楽しんでいいのかな」
⇒めちゃくちゃ楽しんでた!
好きにし過ぎてた!
そしてポジティブなところ
・人への思いやり
・多様性への理解
・福祉や支援への関心
・視野の広がり
⇒これらをパッケージングしたのが私だ!(ジョーク)
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
最近
本当に暑い日が続いている
熱中症には十分気を付けましょう
実は私自身も先日
熱中症のような症状があり
手足がしびれることがありました
かなり危険な状態だったと思われるが
塩タブレットを摂り水分補給を行うことで回復した
これまではブラックコーヒーだけで1日を乗り越えていたのだが
最近は意識的にアクエリアスなどを飲むようにしている
ラボでも熱中症対策としてアクエリアスを導入した
「まだ大丈夫」と思っていても
気付かないうちに体に負担がかかっていることがある
特に今年の暑さは危険なレベルだ
こまめな水分補給と塩分補給
そして無理をしないことを意識して
皆さんで安全に夏を乗り越えよう
日々、体調に気を付けながら過ごしていきたいものです
生きるをえがく
ながを
生きるをえがく
長尾です
まさか「リッチボディ」が
自己肯定感の話になるとは思わなかった
昨日「リッチボディ」というブログを書いた
“ぽっちゃり”をちょっと前向きに
ちょっと面白く言い換えただけの記事だった
完全にネタブログなのだが
今日、朝から職員さんがメッセージをくれた
「おはようございます。
リッチボディのブログ、今読んで笑えました。
私も毎日、美しい敗北を喫しています。
朝から元気になりました。
しょうもない連絡ですみません!」
いや、“しょうもなく”ない
むしろめちゃくちゃ嬉しい
さらに続けて
「理想の自分像は持ちつつも
ありのままの自分を愛せる余裕と幸福感も
出せる自分でいたいと思いました。」
…素晴らしすぎる
まさか“リッチボディ”から
こんな深い言葉が返ってくるとは思わなかった
でも確かに
人ってずっと
「もっとちゃんとしなきゃ」と思いながら生きている
痩せなきゃ
仕事できるようにならなきゃ
もっと優しくならなきゃ
もっと理想に近づかなきゃ
もちろん向上心は大事だ
でもその一方で
「今の自分を嫌い続ける人生」
って、結構しんどい
だから
理想は追う
でも、今の自分もちゃんと笑う
そのバランスが
人生には必要なのだろう
そしてその境地にいる人は
たぶん少し“リッチ”だ
心にも余白がある
だから今日も
理想を追いながら
アイスクリームを食べようと思う
美しい敗北を重ねながら
生きるをえがく
ながを